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函館簡易裁判所 昭和33年(ろ)307号 判決

被告人 橘忠克

昭一三・六・一〇生 漁夫

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は「被告人は昭和三十三年八月二十日午後十時頃花咲郡歯舞村字歯舞川畑商店附近において福井岩雄と口論の末同人の顔面を所携の庖丁にて斬りつけ因つて同人に対し全治まで約九日間を要する顔面鼻部裂傷を負わしたものである」というのである。

被告人及び弁護人は被告人の行為は被告人が被害者福井等数人に連れ込まれ包囲されたので、身に危害の加えらるを恐れ同人等の包囲を脱せんとして万一の為め罐詰工場より持出し携帯せる薄刃を振り廻して逃走したのであるが福井はその際同薄刃により傷害を受けたものであつて被告人の行為は自己の生命身体を防衛する為め己むを得ざるに出た行為で正当防衛行為であると主張した。

右公訴事実中、被告人が昭和三十三年八月二十日午後十時頃花咲郡歯舞村字歯舞川畑商店附近において所携の庖丁にて同人に対し顔面鼻部裂傷を負わしめたことは、被告人の当公廷における供述、証人福井岩雄の当公廷における供述、診断書、前田仲太郎の答申書を綜合してこれを認めることができるが、前掲各証拠の外、検証調書並びに証人長谷広信、同影沼沢清、同前田仲太郎、同戸沢佐市の各尋問調書及び証人戸沢健一の当公廷における供述を綜合して次のような事実を認定する。

即ち

(一)  その頃(昭和三十三年八月二十日頃)被告人及び被害者福井岩雄はいずれも歯舞村字歯舞に(居所及び雇傭主は異なるも)漁夫として雇われ稼働中のものであつたこと

(二)  犯行日である昭和三十三年八月二十日は歯舞村沿岸一帯の漁業者は盆休みの為め出漁を中止休業し、村内には盆踊りが催されてあつて、同村川畑商店附近にも踊りがあり相当の人出があつたこと

(三)  戸沢健一、戸沢佐市、三崎末蔵は被害者福井岩雄と同一居村の者で共に(雇傭主は異なるも)同歯舞に漁夫として雇われ稼働中の者であつたこと

(四)  被害者福井岩雄は、その日の午後は宿舎において、雇主より酒の馳走になり相当飲酒の上十時頃となるに及んで盆踊り見物の為め市内に出掛け川畑商店附近にて、同一村内より雇われ行きたる三崎末蔵、戸沢健一、同佐市及び同村において仲間となつた漁夫某とも出会い、同人等と共に川畑商店に入り飲酒し、或は同所附近に催されおる盆踊りを見物しまわり居りたること

(五)  被告人もその頃同所(川畑商店附近)に出向き友人影沼沢と出会い同人と共に盆踊りを見物し歩き居りたること

(六)  福井岩雄の傷害を受けた現場は字歯舞、高田所有倉庫及び同人所有昆布倉庫裏の海岸であること

(七)  被告人の使用せる薄刃は同人が逃げ込んだ歯舞漁業協同組合罐詰工場より持出したものであること

(八)  その頃(昭和三十三年八月二十日午後十時頃)被害者福井岩雄並びに戸沢健一、同佐市、三崎末蔵及び同人の雇主某の弟と称する者等が前記(六)の場所に待合せおる同人等の内一人が被告人を取り押え、福井等の居合せた場所に連れ込み被告人を包囲したものである(同人等の内一人は一升瓶を下げ)こと

(九)  その夜(昭和三十三年八月二十日午後十時頃)は被告人を包囲せる者の一人福井岩雄一人が鼻部に裂傷を負うたのみで他に何人も聊かの負傷だも負わなかつたものであること

(一〇)  被告人もその頃右(五)の如く川畑商店附近に出向き友人影沼沢と出会い同人と共に盆踊りを見物し歩き(四)の福井及びその仲間等の居合せた附近を通過したがその際被告人は歌を唱いながらその場を通過せる処、福井及びその仲間の者が被告人に対し「カンカン」とか「歌をもう一度聞かせろ」等と弥次り、同人をひやかしたので、被告人はそれを憤慨、口論となつたが、被告人は同人等の為押え付けられ、同村漁業協同組合横裏まで連れて行かれ押さえつけられたのみならず、同人等の内瓶を割り恰もそれにて殴りつけん態度を示す者等もあつたので、被告人は身の危険を感じ、その場を逃がれ自己の宿舎に帰る可くその方向に向け走り出したのであるが、追跡し来る者あるを察し、その者等の為め取押えらるを恐れ、途中一旦身をいずれかにかくすにしかじと考え、友人の雇われ先なる(六)の歯舞漁業協同組合罐詰工場(同工場は漁夫、女工等の食堂兼調理場にも使用しおるもの)に逃げ込み同工場釜場に身を潜め、追跡者の動静を窺い居たのであるが、逃げ出す際(四)の附近に残し来れる友人影沼沢が一人にて、相手数人の為め如何なる危害を加えられ居るやと思い、同人の身を案ずるの余りその様子を見るべく引返えすこととし、万一の場合を考慮しその場にありたる調理用薄刃を手にし友人影沼沢を見失なつたと覚しき地点に引返したのであるが(六)の表通り附近に差しかかつたところ被告人を待ち受けえたる福井或はその仲間の者に発見され(六)の高田倉庫及び同人の昆布倉庫裏の海岸に連れ込まれた上、その場に待ち受け居たる福井及びその仲間四、五人(戸沢佐市、同健一、三崎末蔵外一名)に包囲され、而かもその内一人は一升瓶を下げ居る等如何なる危害を加えらるるやも計り難き状態となつたので被告人は身の危険を感じ、その場を脱するには相手の機先を制して逃げるにしかずとの考えより(六)の工場より持出した薄刃を振り廻わしつつ逃げ出したもので被害者福井はその際その薄刃によつて全治まで九日間を要する鼻部裂傷を負うに至つたものである。

以上の事実に基き被告人の所為を観察すると被告人の所為は、被害者福井等の被告人に対し攻撃を加える意思もなく加えんとした事実も認められず、従つて被告人の行為は何等正当防衛にあらず又過剰防衛にも当らずと主張するも仮りに被害者福井等に何等攻撃の意思なきものであつたとしても、被告人は友の身を案ずるの余り(一旦は同人等の手をのがれたが)友を見失つたと覚しき地点に引返した処、途中に待ち受けえたる福井等の為め(同人又はその仲間の者)再度取り押えられ、剰さえ倉庫裏に連行され而かも内瓶を手にする者等も加わり居る数人の為包囲され、同人は身に如何なる危害の加えらるるやも知れずと直感し前記の処置に出たもので、此の如き事態に直面すれば何人でも右の如く直感するのが当然であるから即ち福井等のその危害を加えんとするが如き行為より身の危険を感じたのであつて被告人の所為はその急迫不正の侵害に対し自己の生命身体を防衛する為己むことを得ざるに出でた行為であること明かで所謂正当防衛行為に該当するものと言わなければならない。

そうすると被告人の所為は刑法第三十六条第一項所定の要件に該当するものであつて、正当防衛行為として罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り被告人に対し無罪を言渡すこととし主文のとおり判決する。

(裁判官 上田呉一)

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